源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか『ドラえもん』の現実(リアル) (PHP新書)

本書は政治学的に権力関係をあからさまにするとか、社会学的／心理学的に家族関係や友人関係を考察するとか、教育学的にスクールカースト制度を考察するとか、「ドラえもん学」を新たに提唱するとか、そういうムツカシイことが主眼の本ではない。いや、そういうムツカシイことも含まれているのだが、それを追究することが目的の本ではない。あくまでも、われわれが毎週金曜日のテレビ朝日と毎年の劇場版で接している「ドラえもん」とは、本当はどういう漫画なのか、を教えてくれる本なのである。以前、学年誌で「ドラえもん」を初回から担当（当時「小学一年生」編集部）していた小学館の関連会社某社長に直接話を聞いて驚いたことがある。「ドラえもん」は「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」「小学二年生」「小学三年生」「小学四年生」の６誌で同時並行的に開始されたのだ。しかもすべて、ストーリーは別。同じ小学館とはいえ、編集部も別だから、藤本氏（藤子・F・不二雄氏）は別個に仕上げて原稿を渡してくれたという。わたしは小学館派（学年誌＆「少年サンデー」）ではなく講談社派（学研の「科学」と「学習」＆光文社「少年」＆「少年マガジン」）だったのでさほど詳しくなかったが、同級生の家で読む古臭い「金太郎」シリーズにはうんざりしていたので、「ドラえもん」の登場は新鮮だった。しかしまさか６本を同時に仕上げていたなどとは思いもよらなかった。そんな衝撃の秘話が、本書には当然のように書いてある（それは、2009年７月の「藤子・F・不二雄大全集」刊行ではじめて明らかになったことだった！）。しかも６本ごとに細かくストーリーの違いまでを調べ尽くし、教えてくれている。それだけでなく、さらに一歩踏み込み、「ドラえもん」がいかにパラレルワールドの結構を成しているか、いや、そもそも藤子・F・不二雄の作品世界全体に絶妙の関連性があることを、詳細な時系列作品年表で教えてくれるのである。だから本書は「ドラえもん」の枠組を超えた価値がある本なのだが、著者はあえてそこまで拡張しない。踏みとどまっている。それをすると、無用な背伸びになる。ムツカシクなる。だから事実を提示し、「本当はこうなんだよ」と読者に教え、そこから抽出されるさまざまな思索は読み手に下駄を預けている。読者それぞれの「ドラえもん」との出会いを深く思い出してほしい、そんな願いが込められているかのようだ。ところどころ著者の自分史（なんと著者と『滝山コミューン1974』の原武史と、野比のび太は隣人だったのだ……p.167）が言及されることで、わたしも自分が「マガジン派」であることを思い出し、級友宅で読んでいた「ドラえもん」は人生で二度目に触れたSF（最初は月刊「少年」の「鉄腕アトム」）だったことを思い出したのである。著者は先行の「ドラえもん」関連の参考文献をすべて渉猟したうえで執筆に臨んでいるが、わたしの勝手な想像では著者の念頭にあったのは『磯野家の謎』であろう。学問的な考察ではなしに、さらっと事実を知らせる。それだけで読者それぞれのイメージは初期化され、新鮮な気持ちで作品に臨めるようになる。毎年子どもと観ている劇場版（３月公開。前作「ひみつ道具博物館」は傑作だった！）を前に、わくわく度は確実に増した。「目ウロコ」とノスタルジーの両立に成功した、新書の傑作である。